愛称
by 來花それは、唐突に思い出した。
清一色が出てきて色々とごたごたしていたけれども、その清一色と会った町での事だ。僕自身、八百鼡さんと手合せしていたからあまりよく見えなかったし聞こえなかったのだけれども、あの時に悟浄と手合せしていた男は。
「ねぇ、悟浄」
「なによ」
外は雨ふりでまだ吹っ切れたわけじゃ無いけど、まぁ塞ぎこむほどではなくなってきているので宿のベッドに不貞腐れている悟浄の髪を軽く引っ張ってみたりした。
「ちょっと前の…ほら、紅孩児の妹のあの子に会った町であった人って」
「…ああ、兄貴だよ」
「やっぱり」
まだ、長安のあの家にいた頃に悟浄が話してくれた悟浄のお兄さんの爾燕さん、だったか。ずっと探してた人と会えたんだなー、と思う反面でまさか敵同士になろうとは、と思う。
「苦しくないです?」
「なにが?」
「いえ、お兄さんが敵サイドにいるので」
枕に顔を埋めて寝ているのか起きているのか解らなかった悟浄が仰向けになる。そんな悟浄をベッドの端に顎を乗せつつ観察してみた。
「別に。生きてるってわかっただけでもいいし」
不意に僕の方に転がって何を考えるでもなく僕にそう言った。
「それに、他人の生き様をどうのこうのって口出すようなマネはしねぇし?」
見つめあって、それが本心であることを知る。とりあえず悟浄はこの旅においての目標ではないがちょっとした寄り道を終えてしまっているわけである。
「あ、ちなみにあいつ今は独角児って名乗ってるらしいぜ」
「へぇ」
そして、訪れる沈黙。お互いの顔を見つめあって、でも野郎の顔だから見つめてもどうかと思って苦し紛れに話題を出した。
「お兄ちゃんとかって呼んでた時期ってあるんですか?」
そう言ったら面食らったように驚いて、そして赤くなってそっぽを向かれた。そっぽを向いてくれて気まずさが減ったのだが、その反応って…。
「え、本当にあったんですか?」
「……あったっつーの、ありましたともさ、それが何か?」
「いや…意外でしたので」
元々、雨降りで外に呑みに行けなくなって不貞腐れていた悟浄がさらに拗ねてしまった。うん、可愛い。
「どうして兄貴って呼ぶようになったんですか?」
「聞きたいの?」
「ええ、施設には年上の子どもはいましたけどあんまり名前とか人を指す言葉って使いませんでしたし…そういうのってなんか新鮮なんですよねぇ…ほら、花喃も名前呼びでしたし」
誰か、親しい人をそう言った人称で呼ぶことはなかった。大抵が「貴方」か名前で呼ぶことが多かったから。これからもそうやって親しい間柄の人を呼ぶことはないだろうから。
「…ちっせぇころは、兄ちゃんって呼んでたんだけどよ?」
昔の事を思い出しているからだろうか、悟浄の視線は虚空を見つめていて。ああ、もしかしたら僕は彼に昔の辛いことまで思い出させているんじゃないだろうか?
「昼間は一緒に遊んでくれる奴らがいたからさ、そいつらと遊んで義母親から身を守ったりしてたんだよ。そしたら日が暮れるころに兄貴が迎えに来てくれるワケ。で、ガキってすぐに人のこと呼ぶじゃん?」
「まぁ…」
「兄ちゃん、って呼んだらそん時一緒に遊んでた所謂、ガキ大将みてぇな奴が俺を笑ったんだったかな? まともに覚えてやしねぇけど」
小さい頃の記憶は曖昧になりがちだ。きっと死ぬ頃には覚えてもいないんだろう。
「『まだ、兄貴のこと兄ちゃんって呼んでのかよ』ってな感じに笑われて、その次の日から兄貴って呼び始めた」
「へぇ」
そうやって呼ぶ人がいない僕なんかは愛称がそんなもんでコロコロ変わるものなのかと、思った。
「聞いといてそれだけかよ」
「まぁ、聞いても僕には実感わきませんから」
「ちなみに兄貴は兄ちゃん呼びが気に入っていたらしく、結構ショックだったみたいだな」
「ふぅん…」
あ、そうだ。
「じゃあ、僕の誕生日が来て僕が年上になったらお兄ちゃんって呼んでもいいですよ」
「誰が呼ぶかボケ」
くすくす笑いながら冗談交じりに行ってみた言葉に悟浄は呆れながらも返してくれる。
「大体、同い年だろーが」
「えー、いいじゃないですかぁ。そうやって呼ばれてみたいです」
ベッドに肘をついてくすくす笑い合ってさりげなくキスをした。ほんとにじゃれるようなキス。
悟浄が僕の頬に触れて撫でていくのに誘われてベッドに乗り上げて悟浄を見下ろした。悟浄にお兄ちゃんなんて呼ばれたら僕、吹き出しちゃいそうだなぁ。
なんて思いながらもう一度キスをした。
(あ、兄弟プレイって燃えません?)
(燃えねぇよ、バカ)