眠り姫は起こされる

by KUKO


 朝から衰えることのない土砂降りの雨のおかげで出発が延期になった。安宿の天井は薄くて、雨音が部屋中に響いている。
 手持ち無沙汰を紛らすためにジッポを鳴らす。車にガタガタ揺られてると一日ゆっくり休みてえとか思うが、いざこうなってみると暇で暇で仕方ない。悟空をからかうのにも飽きた。悟空と三蔵は隣の部屋でそれぞれに過ごしてると思う。
 目の前に座る八戒は本を片手にコーヒーを飲んでいる。一時間黙々と読み続けている。そんなに楽しいのか、その本。
 もう少しかまってくれても良いんじゃねえの、とか思っている自分が痛くて煙草に手を伸ばす。あんなに嫉妬してたのが嘘のように涼しい顔をして過ごす八戒。もしや手に入れると飽きるタイプなんじゃねえかと疑っちまうくらいだ。
 八戒が顔を上げたので何? と表情で示すと、眉根を寄せて俺を睨みつけた。部屋に煙草の煙が充満して、白くなっている。代わりにコーヒーを飲むと、いがいがした喉をコーヒーが絡まりながら落ちていった。
「眠れる森の美女っていうお話、知ってますか」
 栞を挟んだ本をテーブルに置きながら、八戒が言った。
「魔女に呪いのかかったりんご食わされて眠ってたお姫様が、王子様の真実のキスで目覚めるってやつだろ」
「林檎を食べて倒れるのは白雪姫です」
「白雪姫と眠れる森の美女ってちげえの?」
「全く違う話です。魔法の鏡や七人の小人が出てくるのが白雪姫で、魔法使いや紡ぎ車、茨が出てくるのが眠れる森の美女です」
「俺の頭の中では全部が同じ話の中に出て来るぞ」
「ある意味器用ですね」
「良いんだよ。大事なのは“真実のキス”ってとこなんだからよ。そこさえあってりゃ問題ねえよ」
「悟浄に似合わない響きですね。その真実のキスって、童話では存在しないんですよ」
「あ? どういうことだ」 
 八戒は眼鏡をくいっと上げて手を組んだ。この一連の動作は俺のお気に入り。理知的で繊細で策士で、それでいて大胆なことをしてのける八戒らしい動きだと思う。
「有名な話はアニメ版です。大きく違うのは魔法使いの呪いと、最後ですかね。原作の童話では、“王女は錘が刺さって死ぬ”と魔法使いが呪いをかけ、それを他の魔法使いが“百年の眠りにつく”と訂正する呪いをかけたことになっています。そして最後は、王女が眠りについてから100年後にその噂を聞いた隣国の王子が城を訪れて、目を覚ました王女と恋におち結ばれるという話です」
「ちょっと待て。それじゃたまたま目を覚ました時に居合わせた男と結婚したってだけじゃねえか」
「そうなりますかね」
「それもきっちり100年眠ってたら意味なくねえか」
「そこだけで作品を判断しないで下さいね。原作には原作の良さがあるんですよ。呪いを掛けた理由を話し忘れましたね」
「そこはいいよ。面倒だから」
 まあそうなのかもしれないが。魔法使いは願いが叶ったのだから良かったのかもしれない。それに王女も死んでないわけだし、目覚めた瞬間恋におちたんだし。良いことだらけって気もする。いや待てよ。王子と結婚したなら年取ってねえよな。それって都合よくねえか。
「アニメを作る時には設定を変えたんですよ。ねずみさんで有名なところが制作したものですね。まずは王女にかける呪いを“16歳の誕生日日没までに糸車で指を刺して死ぬ”と変え、訂正する他の魔法使いが3人の妖精のうちの1人になり“死ぬのではなく眠るのであって、真の恋人からのキスにより目覚める”と訂正します」
「キスされない限り永遠に眠り続けるってことか。それじゃ待ってらんねえな」
「ううん」
 一度咳払いをすると、少しトーンの低い優しい声で話し出した。
 王女の生誕を祝う宴で呪いをかけられた王女は、城を出て三人の妖精の手で森で育てられることになった。16歳の誕生日。誕生日パーティーのために苺を摘みに出掛けた。そこで王子と出会いお互いに惹かれ、その日の夜に再会を誓う。しかし呪いが実現し王女は眠ってしまう。魔法使いは王子が呪いを解くことを恐れて王子と妖精を城の地下牢に閉じ込めてしまう。妖精は王子に真実の剣と美徳の盾を授け、王子は地下牢を抜け出して王女の元に向かった。が、途中ドラゴンとなった魔法使いに妨害される。王子は見事にドラゴンを倒し、何とか王女の元に辿り着いてキスをする。王女は目を覚まし、二人は結ばれて幸せに暮らした。
「何か自分が子供になったみてえだ」
「今度絵本を読んであげますね」
「その本に書いてあんの」
「いいえ。これはホラー小説ですから。こっちの方が気になりますか」
「遠慮しときます。で、何で急に眠れる森の美女の話なんかすんだよ」
「いえね、一目惚れってあるのかなと思って」
「あ?」
「このホラー小説も一目惚れから始まるんですよ。幽霊の一目惚れです。自分が見えていない相手のためにつくして、結局血なまぐさく、無惨なことをするんですが」
「そっちの話はいらないから」
「はいはい。眠れる森の美女だってどっちにしてもそうでしょう? 二人が同時に一目惚れしてるんです。場所や時が違っても、一瞬で恋に落ちることは変わらないんです」
「まあな」
「一目惚れした相手のために命をかけてドラゴンに挑むんですよ。そんなことってあると思いますか?」
「目を覚ました女がすげえ綺麗で手を出したってのはあんじゃねえのか」
「やめて下さい」
(一目惚れねえ)
 夜の相手を見付けるのだってある意味一目惚れだと思う。ピンと来るって感覚だろうか。お互いに目線とか表情で探りながら“いける”なんて感じるわけだ。
 でもそれは、心の中で一夜だけとか今日だけっていう意識があるからで、明日のことなんて考えていない。もちろんまた会おうなんて言うこともない。
 つまり恋に落ちていない。
 だったらあの日、あの時はどうだったか。
「僕は違います」
「ん?」
「目が覚めて天井が見えてボロいなって思って。そしたらあなたが顔を出した。赤い眼と赤い髪をしたあなたが。驚きましたね。色々なことに」
「まあ、そうね」
「それがいつからか変わっちゃったわけですが。で、悟浄はどう思いますか。一目惚れってあると思いますか」
 いつも綺麗に上がった口角が楽しそうにひくついている。これは面白がってる。もう何年も一緒なんだから、どうでも良いことを長々と話し出したら危険だってことくらい覚えりゃいいのに。学習能力ねえな、俺。
「さあな」
「さあな?」
 不満そうな顔をして、勢い良く椅子から立ち上がって八戒が近づいて来る。普段着ている緑の服は脱いで、黒のアンダーを着た姿。その首もとに膨らみがある。
「付けねえの、これ」
 八戒の首に掛かったチェーンを引っ張る。そこには俺が誕生日に渡した指輪がある。どうにか話を反らそうと、痛い所をついてやる。
「壊れたら嫌じゃないですか」
 強度が低いスフェーンという宝石と、オーダーで頼んだ蔦模様のリング。戦闘中に付けたら一発で壊れそうだが、運転中せめて部屋の中だけでも付けていて欲しい。
「付けろよ」
 チェーンを外して指輪を掌に落とす。綺麗な色だ。
「で、一目惚れってあると思いますか」
 無理だよな、こんな話じゃ。
「あるんじゃねえの」
「悟浄は経験ありますか」
「どうだろな」
「今更かっこつけても無駄ですよ」
 八戒の顔が近づいて反射的に目を閉じる。きっと眼は見ちゃいけない。
 雨の降る森の中で八戒を見付けた時。その眼を見た時。
 それが俺にとっての”一目”だったわけだが、八戒にとっては汚いベッドの上に寝かされていて目が覚めた時に俺の顔を見た時だ。きっと絶望。俺の問いにありがとうございますと答えた響きは未だに耳に残ってる。
「勘違いしないで下さいね。悟浄は王子様じゃなくて眠り姫ですよ」
「...」
「だってそうでしょ」
 八戒を起こしたのは俺だ、と言いたい所だが煙草をちょっと我慢したくらいで八戒は勝手に起きて来た。
 ずっとあの家で燻っているはずだった俺を、気が付いたらこいつが引っ張り出していた。そう考えれば、目覚めさせたのは八戒かもしれない。
「観念したらどうですか」
「...一目惚れかもしんねえな」
「そうじゃなきゃ拾いませんよね。僕の勝ちです」
「いつだってお前の勝ちだろうが」
「そうですね」
 賭けも喧嘩も敵わない上に、腰まで砕けさせられる始末。
 いつだって八戒には完敗だ。
「僕が本を読んでいてつまらなかったんでしょ。それならそう言ってくれれば良いのに。ご期待に応えますよ」
 八戒の手が差し出される。薬指には指輪が嵌められている。
「うっせえよ。やんなら早くしろ」
「可愛く無いですね、ふふ。好きですよ」
 雨音は止まる気配がない。どんな音だって消してくれる。
「そうそう。眠れる森の美女にはさっき話した原作版の続きとか、また違った展開の話とか色々あるんですよ。それがホラーのような物語なんです。後で教えてあげますね」
 やっぱり八戒は王子様なんかじゃなくて魔法使いだろ、って言うのは心の中だけにしておこう。



【END】